富岡八幡宮を味わい尽くす④石灯篭と八幡宮復興

超地元的深川観光案内、として旧「深川のススメ」をリニューアルしている「新・深川のススメ」ですが、よりディープに富岡八幡宮を味わい尽くす第4弾は、石灯篭。

石灯篭に歴史あり

江戸時代の石灯篭。宝暦八年の奉納。
江戸時代の石灯篭の説明んという

こちらが最も古い石灯篭で、江戸時代のもの。伊奈忠宥という旗本の偉い人が宝暦年間に奉納したもの。宝暦というのは江戸中期、10代将軍ぐらいのころです。

ただ、前回の狛犬は江戸時代のものがわりと良く残っているのですが、石灯篭に関して言うと、このほかに江戸時代のものが残っているのは、横綱碑の奥にある「永昌五社稲荷」のものだけ。石灯篭は崩れやすいからなんでしょうね、あんまり古いものは残ってない。

参道奥の左のもの
昭和11年建立
参道右のもの
昭和13年建立
昭和13年建立です

写真で見るように、昭和11年とか13年に奉納されたものが多いのです。写真にあるほかの石灯篭、また前々回の鳥居とか、この昭和11年から13年、という時期には、たくさんの石造物が建立されています。これはなぜでしょうか。というと、次の写真の、古ぼけた石碑にその理由があります。考えてみれば「なるほど」な理由なのです。

関東大震災からの復興記念碑
富岡八幡宮の復興

富岡八幡宮は、関東大震災で大きな被害を受けたようなのです。たぶん石灯篭のような崩れやすいものは、壊滅的な被害があったのでしょう。そのほかにも、鳥居や建物などに大きな被害があった。それらが大々的に復興されたのが、昭和11年から13年であるらしく、上の写真の「復興記念碑」も昭和13年のものです。けっこう時間がかかったんですね。関東大震災の大きな被害からの復興、八幡宮を再びよみがえらせよう、という氏子の厚い信仰と熱意を感じます。

しかし、せっかく関東大震災からの復興を成し遂げたにも関わらず、日本は戦争に突入し、深川は東京大空襲などで焼け野原となってしまいます。もちろん富岡八幡宮も例外ではなく、石灯篭や鳥居、石碑などの石の建造物はのこったものの、社殿からなにから、燃えてしまいました。壊滅的な打撃が八幡宮を襲ったのでした。そこからの復興が、並大抵のものではなかった、というのは想像に難くないところです。

こちらは戦災からの復興のために募った寄付の銅板。

これは、戦災で焼けてしまった社殿の復興のための寄付をした人たちへの感謝を記した銅板。昭和30年代のものです。金額の途方もなさに、腰が抜けます。だって富岡一丁目の町会からの寄付だけで、680万円ですよ!!今だってそんなに集まったらびっくりするくらいの金額ですが、昭和30年代ですよ!!現在に換算したら、間違いなく数千万円ですよね。ほかにも数百万円とか百万円とか。個人でも5万円くらいドンと寄付してます。その当時の5万円がどれくらいの価値があったか、を考えると、個人の寄付としては大変な金額です。これほどの金額をみんな競って、八幡宮の社殿の再建のために寄付したんです。みんな、どれだけこの八幡宮を崇敬していたか、愛していたか、町の誇りだと思っていたか、そのことが、この銅板に記されたたくさんの名前と、その金額の大きさから伝わってきます。みんなが私財をはたいて、町の誇りである八幡宮の再建にお金を出したのです。きっとお金持ちの人だけではなく、庶民も競って寄付したんでしょうね。そうじゃないとここまで集まらない。深川の人たちにとって、この富岡八幡宮がどれだけ大きな存在だったか、がわかります。すごいです。

現在の富岡八幡宮。昨年の例の嫌な事件のせいで、ずいぶんと神社としての信用を失ってしまった、というところです。困ったものです。でも、この銅板を見ると、きっとまた、この富岡八幡宮はもとの隆盛を取り戻すことは間違いない、と思えてきます。この神社に、深川のどれだけの人の思いが詰まっているか、この八幡宮はどれだけ深川の誇りとして大切にされてきたか。

関東大震災、戦災から復興を遂げたこの神社、今ふたたび全力で復興に取り組んでいるところです。

 

 

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