第三十六回 「国旗掲揚台は残った」

この「深川のススメ」も、だんだん、普段だれも見向きもしないような、地味極まりないものの歴史を探求するマニアックな段階に入りつつありますが、今回はその極み、国旗掲揚台です。国旗掲揚台、みなさんもどこかでかならず目にしているものなのですが、ほとんどのかたが、全く気づいていないでしょう。以前はもっと沢山残っていたのですが、さすがに減りつつあります。なくなってしまわないうちに、記録しておくこととしましょう。

牡丹町、巴橋たもとの国旗掲揚台

牡丹町国旗掲揚台の裏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、牡丹町の大横川にかかる巴橋のたもとにある国旗掲揚台。「国威宣揚」の文字も勇ましい、現存の国旗掲揚台では唯一、国旗掲揚ポールが残っているものです。

昭和14年11月に牡丹町町会長の薮原さんという人が建設者になっています。ポールはありますが、わたしは少なくとも、ここに国旗が掲揚されているのを見たことはありません。

木場駅前の、沢海橋たもとのミニマルな公園内の国旗掲揚台。皇太子とは、現天皇のことですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お次は、東西線木場駅そばの沢海橋そばの、江東区独特の猫の額のような、誰もここで遊んでいるのを見たことがない沢海橋児童公園内の国旗掲揚台。「皇太子殿下御降誕記念」とあります。

沢海橋の公園内にある、大震災餓死者供養塔。個人によって立てられたもののようです

昭和9年、東陽三丁目町会によって建てられたもの。皇太子とは、もちろん、現天皇陛下のことです。ポールは最近までありましたが、さすがになくなっています。そばに大震災餓死者供養塔というのもあり、これは一個人によって建てられたもののようです。

最後は、清澄通りと葛西橋通りの交差点そばにあるまたまたミニマルな三角公園の中にある国旗掲揚台。牡丹町のものと同じ「国威宣揚」の文字が刻まれ、「陸軍中将小笠原藪夫書」とあります。昭和12年12月に「深川区亀住町町会」によって建てられたものです。現在の町名・深川のこのあたりは戦前まで「亀住町」といったんですね。はじめて知りました。

清澄通りの三角公園内の国旗掲揚台。どれも似たようなものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国旗掲揚台の立てられたのは、古い順に昭和9年、12年、14年。皇太子御降誕の昭和9年には、溥儀を皇帝とする満州国の成立、12年には、盧溝橋事件にはじまり、上海占領など、日中戦争の勃発、南京事件(南京大虐殺)、14年には、ノモンハン事件、米などの配給制や、厳しい統制が次々と発令され、木炭ですら配給になり、白米が禁止されます。パーマも禁止されました。そうです。これらの国旗掲揚台が建てられたのは、軍部の台頭、日中戦争の泥沼化、物資や国民への厳しい統制令が次々としかれていく時代とぴったり重なるのです。

確か、かつては国旗掲揚台は深川公園にもありましたから、多分、当時、各町内でひとつずつ、建てたものと思われます。いや、ある意味、建てざるを得なかった、のではないでしょうかね。軍部が台頭し、国民への統制が厳しくなる時代、愛国心の発露として、競って各町で国旗掲揚台を建てた。逆に、国旗掲揚台を敢えて建てない町は、軍部に目を付けられたり、いろいろと不利をこうむった、というのは想像に難くないところです。だから、建てざるを得なかった。いまでもこの国の社会には、そういう部分って残ってますから、当時がまさしくそうだった、というのはリアルに想像できます。

建てるだけじゃなくて、毎朝、町会の役員が集まって国旗掲揚をやってたんじゃないか、と想像します。軍人が来て君が代をラッパでふきながら。こういう場合、最後に「宮城(きゅうじょう)に礼」とかやるんですよね。真剣にやっている人ももちろんいたでしょうし、表面は全員真剣にやってたでしょうが、内心みんな、「やってらんねーよなー、こんなの」とも思っていたんじゃないかなー。戦争が激しくなると、町内中の人が国旗掲揚に参加を強いられたりもしたかもしれない。そういう時代ですから。毎朝、そんな風に各町の国旗掲揚台の下で、国旗掲揚が行われていた、と想像できますよね。

戦争が終わり、平和な時代となり、国旗掲揚台はもう、誰にも見向きもされなくなりました。この国にはその後長らく、「日の丸・君が代アレルギー」という奇妙なものがはびこりましたが、この国旗掲揚台は、その原因を如実に証明してくれる証人である気がします。戦争の時代、いかに日の丸と君が代が国民に強要されたか。多分各町内に一つはあったであろう国旗掲揚台、そこで多分毎日やってた国旗掲揚。そこまで強制されて、みんないやになっちゃったんですね。

この国旗掲揚台、まだまだあちこちに残ってます。亀戸の駅前のものでは、まだ国旗掲揚をやってるんじゃないかな。でも、歴史史跡としての価値があまり感じられない史跡ですから、今後どんどん消えていく運命にあるようです。あなたの街の国旗掲揚台も、探して見つけてみてください。消えてしまう前に。これはこれで、貴重な歴史の証人なのですから。

(この記事は2010年に書かれたものです)

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