第7回・深川八幡祭③手締め「木場式」?「三社式」?

手締め(写真はこちらのサイトから拝借しました)

三本締め、こんな意味があります!!

お祭りといえば「手締め」です。お祭りの最後に、お神輿の前で、シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャンシャン、という三本締め。ちなみにこれを一回しかやらないのは「一本締め」といいます。「一本締め」は「中締め」といって、お祭りの中間にとりあえず締める、という場合のもの、とされております。これに対し、「三本締め」は「大締め」で、最後に全て締める、時にやります。お祭りに限らず、宴会とかでも、この手締め、みなさんもやったことあると思います。

ちなみに豆知識としては、この手締め、手を打つ回数が三、三、三、一、となっております。三を三つ重ねると九になります。九は「苦しみ」苦の九。これに一、を加える、一、という点を加えると「丸」になります。九「苦」に最後に一を加えて「丸」にする、すべてを丸く納めるという意味がこの手打ちにはあるのだとか。ま、いわゆる「俗説」で、故事付けなのですが、知っておくと、宴会とかで手締めをする時のスピーチに使えますよ。

三本締めは「木場式」?「三社式」?

さて、この「三本締め」、深川では以前この「三本締め」をやる時、必ず「では木場式で、三本締めにてお願いします」といったものです。ちなみに浅草の人は今でも必ず、「三本締め」の時には「では三社式で三本締めにてお願いします」と言います。これはもう、必ず言います。「三本締め」は別に今や東京中でやってるので、別に「木場式」でも「三社式」でもなさそうなものなんですが、ここのこだわりは、特に浅草の人たちにとっては格別のもののようです。深川の人間も負けずに「木場式で」と言ってほしいものです。「三本締め」がこのまま「三社式」だなんて思われたら、深川の名折れ、でございます。

しかしまあ、なんで「三本締め」を深川や浅草の人たちは競って「木場式」だの「三社式」だのと言い合ったのでしょうか。これは、「神田式」への対抗心、なのです。以前にも書きましたが、「江戸っ子は神田に三代住まないと江戸っ子とは言わない」と言うくらい、神田は江戸下町の中心であります。今は東京の祭と言えば「三社祭」ですが、以前は神田明神祭が断然、格が高かった。「川向う」の深川や、そもそも江戸ではなく「江戸郊外の観光地」だった浅草なんかとは格式が違います。

神田「一本締め」VS深川・浅草「三本締め」

で、この神田明神祭では、基本的に「一本締め」なんです。「三本締め」をやるのは、祭が終わり、神輿の片づけとか、後仕舞いをすべて終えて、みんなでお疲れ様をやって、これで本当にお祭りもすべて終わり、という本当の「大締め」の時だけ、「三本締め」をやる。それ以外の時には「三本締め」は絶対やらない。それ以外はすべて「中締め」なので「一本締め」なのです。だから、この「三本締め」に立ち会えるのは、お祭り関係者、町会の人、とかだけで、アウェーで担ぎに来た人とかは参加できないし、観光客がこの「大締め」を見ることもありません。だから、アウェーの人や観光客にとっては、神田明神祭の手締めは「一本締め」なのです。

これに対し、深川や浅草では、神輿を担ぎ終わった祭の最後に「大締め」として「三本締め」をやります。だからアウェーの人も参加できるし、観光客もこの「三本締め」を目撃できます。地元の関係者しか「大締め」に参加できない神田明神と較べて、「三本締め」がポピュラーなのは断然、深川や浅草。だから、格の高い神田の「一本締め」に対し、深川や浅草では、神田に対抗する意識で「三本締め」を「木場式」だとか「三社式」だのと誇りをもって言ったのです。それだけ、神田明神祭は別格で格式があり、深川や浅草では神田にたいするコンプレックスが多分にあって、「神田には無くて自分たちにあるもの」としてこの「三本締め」を誇ったのだ、と私は思います。

お神輿の掛け声や、お祭りの手締め、一つ取ってみても、江戸下町の「勢力図」が見えてきます。なかなか面白いですよね。

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