第二十二回 「清澄庭園と紀伊国屋文左衛門」

清澄庭園を知っている方は多いと思います。大変有名ですからね。この庭園の素晴らしさは、まず、庭全体を一目で見渡せる、絶妙な大きさにあります。そう広くない、池を囲んだ庭園の中に、渓谷の趣向にしつらえられた部分、山地の趣向でしつられらた部分、荒磯、沖の小島、などなど、自然のさまざまな景色をひとつの庭の中で、さまざまに表現しています。最初は、この一つ一つの趣向になかなか気づきませんが、何度か通っているうちに、一つ一つ景色を発見していくようになります。景色の趣向をひとつ発見していくごとに、この庭の魅力に引き込まれていきますよ。

庭園に入ってすぐの、「渓谷」の部分。よく観察しないと、渓谷だとは気づきませんが、よく出来ています

「山地」の部分。右端には、石で出来た水なし川が池に注ぎこむ、という趣向です。

「海に浮かぶ島」の部分。この写真は冬に撮影したので、雪釣りがきれいです

さて、この清澄庭園、かつては、「紀伊国屋文左衛門の別邸」だとされており、古い深川っ子のかたには、いまだにそれを信じている方も多いようです。ちなみに、わたくし其角主人も、十年位前までは、その話を完全に信じておりました。だって、いかにもそれっぽい話じゃありませんか。しかしですね、それは全くの、根も葉もないデタラメ。

江戸の古地図を見ると、ここには、千葉県にあった関宿藩の久世家の下屋敷があります。で、その屋敷の中に、そこそこの庭園があったらしい。それが、明治11年に、あの三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の所有となり、彼が「来客用」に庭園を整備し、全国から「名石」を持ってきたりしたのも、岩崎弥太郎だそうです。まったく、「来客用」にこんな庭を造るなんて、憎ったらしいほどの大金持ち振りです。

その後、弟の岩崎弥之助の所有となり、庭園の池の水を隅田川から取り入れて、池に潮の干満を演出したりという、現在の庭園のもともとの姿が出来上がり、大正9年に、市民にも一般公開されるようになったのです。その後、関東大震災、東京大空襲での荒廃を経て、東京都の所有となり、昭和28年に、現在の形に復旧され、現在に至る、ということです。

しかし、この庭園には、こんなあきらかな出自があるのに、なんでまた「紀伊国屋文左衛門の別邸」なんて、荒唐無稽の話が、広く信じられていたんでしょうねぇ。信じていた当人の私ですら、実に不思議です。

思うに、「紀伊国屋文左衛門」というのは、深川っ子にとって、永遠の「深川のヒーロー」なんでしょう。「黄金の本社神輿」の回でもお話しましたが、「紀伊国屋文左衛門」は、数々の伝説に彩られていますが、実は「紀伊国屋文左衛門」は架空の人物だ、とする説があるくらい、実態のつかめない、伝説だけが一人歩きした人物で、本当はどういう人間だったのか、は、よくわかっていないのです。でも、深川の人間にとっては、木場の創始者といわれ、金に糸目を付けないお大尽で、俳人其角の弟子だったという伝説も持つ粋人「紀伊国屋文左衛門」は、憧れのヒーロー、だったにちがいありません。

だから、深川では、なんでも「紀伊国屋文左衛門」が登場するのです。かつての深川の自慢だった、黄金の、三つあった本社神輿も、こんな立派なものは、深川のヒーロー「紀伊国屋文左衛門が寄贈した」に違いない、ということになるし、清澄庭園のような、東京都の名勝第一号に指定される位のすばらしい庭園は、きっとあの深川の誇り、紀伊国屋文左衛門の別邸だったに違いない、と、立派なもの、深川自慢のものは、すべて紀伊国屋文左衛門へと結び付けられたのでしょう。それも、清澄庭園が一般に公開され、名声を博したのは、大正時代以降ですから、清澄庭園と紀伊国屋文左衛門を結びつける伝説は、それ以後に作られた、ということですよね。だから、紀文伝説は、実は、昭和のものかもしれない。紀伊国屋文左衛門の伝説は、昭和に作られたもの、なんて可能性を考えると、ワクワクしてきませんか?

しかしですね、「清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の別邸だった」という、深川では常識として通用していたこの話が、「全くの作り話」となると、深川に通用する、紀伊国屋文左衛門にまつわる伝説も、「全くの作り話」であるという可能性が非常に高い、ってことですよね。其角主人といたしましては、紀伊国屋文左衛門が其角の弟子だった、という話は本当であってほしいのですが、、これもどうだか、です。

もっと面白いのは、深川には、紀伊国屋文左衛門の墓があるんです。小さい墓ですが、これがかなり怪しい。ま、その話は、また別のところで。

池は鳥の楽園です。えさもあげられますよ。

清澄庭園の前庭。後ろの建物は「大正記念館」

紀文とは、関係ないことがわかりましたが、この清澄庭園、深川っ子がそれだけ誇りに思うくらいの、すばらしい庭園です。ぜひ一度、いや、この庭園の本当のすばらしさを味わうには一度では足りません、なんども、お越しください。

(この記事は2007年に書かれたものです)

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