第二十八回 「番外編・幻のグランド・キャバレー」

さて、前回までの洲崎シリーズの取材で、深川界隈の旦那衆に、酒席などで洲崎遊郭についてインタビューしたのですが、洲崎の取材をするには、少し時代が遅すぎたようで、洲崎の遊郭で遊んだ経験者世代は既に引退してしまった人が多く、インタビューは失敗が多かったのです。現在の60代くらいの方にインタビューしても、洲崎の話題は盛り上がらないのですが、みなさんの話題に必ず上るのが、錦糸町にあったという大きなキャバレーです。いやもう、みなさんこのキャバレーの話になると、急に目が輝きだし、話し出すと止まらない。当時このあたりの人で、このキャバレーに行ったことのない人はいない、というくらいの感じで、皆さんの昔話の共通の話題です。ここまで話が盛り上がっちゃうキャバレーって、どんなところだったんでしょうね。今回は、紹介する場所が深川ではないので「番外編」ということで、ある年代の深川の男の方にとっては郷愁の、錦糸町の伝説のキャバレーについて、語ってみましょう。

現在の「楽天地」 映画の中心地です。この界隈も再開発が進み、すっかりきれいになりました

楽天地の裏あたり。幻のキャバレーはこの辺りにあったのかなあ、などと想像をめぐらせたいのですが、ほんとになんの面影もありません。

総武線の線路際。この辺には古いものが残ってるかな、と思いましたが、ここも、いまやきれいさっぱり。昔の錦糸町のイメージは残ってません。

さて、このキャバレーですが、みなさん、目を輝かせて語りだすにしては、店名や場所などの記憶はおぼろげなんですね。夜の街の記憶って、案外そういうものかもしれませんけどね。そのキャバレーが、楽天地のところにあった、ということは確からしいのですが、それ以上詳しい場所はわかりません。店名は「ザ・グランド」という店名だった、と皆さんおっしゃいますが、どうも「ザ・グランド・フォンテン」が正しい店名のようです。しかしながら、これだけのキャバレーだったのに、どの資料を調べても資料や手かがりになるものは、ひとつも見つかりません。

皆さんの証言によりますと、このキャバレーはホントに大きくて、店の真ん中に大きな噴水があって、そのまわりがひな壇になっていて、そこにテーブルがあり、そこでホステスとお客が座ったそうです。キャバレーですから、ショーなんかもその噴水のところでやったんでしょうねぇ。そういう構造ですから、お客の目からは、他のお客もホステスも一目瞭然です。特別室、みたいなところがあって、特別な上客がそこに座ったのだそうですが、そこもまた丸見え。そして、いつもその特別室で上客の相手をしていた、キャバレーの断然NO.1ホステスが、あの、あの、あのあの「デヴィ夫人」だったそうです。もうとにかく本当にきれいな人で、このキャバレーの客で彼女を知らない人はいない、と言うくらいの人気ホステスで、光り輝いていたそうです。その後、デヴィ夫人は、当然のごとく銀座に移籍し、そこでインドネシアのスカルノ大統領に見初められてスカルノ大統領の第二夫人となります。

一見「玉の輿」ですが「第二夫人」というのは、実際にはとても微妙で大変な立場だったらしく、インドネシアで彼女は大変苦労したようです。

まあ、デヴィ夫人が錦糸町のキャバレーのNO.1ホステスだった、というのは、あくまで深川界隈の旦那衆の証言にすぎません。これが本当のことなのか、たんなる伝説なのか、調べるすべはありませんけどね。

そして、このキャバレーがはねたあとは、帰宅するホステスを食事にでも誘おうと、たくさんの男たちが店の裏口にたむろしていたそうです。証言してくれたかたがたも、まあ、ここで女の子を待ってたんでしょうね。いやあ、楽しい時代です。

というわけで、この錦糸町のグランド・キャバレー、証言は大いに盛り上がるのですが、これらの証言以外には、このキャバレーについて調べる糸口がありません。皆さんの中で、このキャバレーについてご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてください。

現在の、どっちかというと「悪名高い」錦糸町の繁華街。行ってみるとわかりますが、キョーレツな看板のお店が「表通り」に並んでたりします。

今回は、現在の錦糸町の写真を載せました。いやあ、一部を除きすっかりきれいになってしまった今の錦糸町には、昔の面影は全くありません。今は、錦糸町にもキャバレーはありません。時代は変わったんですねぇ。

(この記事は2007年に書かれたものです)

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