第三十八回 「江戸の墓事情」

前回、心行寺のお墓について触れましたが、これからしばらく、深川のお墓について触れたいと思います。そこで今回は、「江戸の墓事情」と題して、江戸深川、そして現代に至るまでの「お墓」に関することを少しまとめて述べてみたいと思います。

墓地の遠景。町中に墓地が広がっている感じなのです。

江東区の平野町、三好町界隈には、たくさんのお寺が並んでいます。本当にたくさんありますよ。宗派もいろいろ取り揃えてございます、というところ。そして、どのお寺にも、墓地があり、それぞれのお寺の墓地が、町のかなりの部分を占めています。お寺に隣接した部分だけではなく、各お寺の墓地が並んである「共同墓地」になっているような場所もあります。これらの墓地は、江戸の昔から存在しているようで、お墓を見ると、天保時代の年号が墓石に刻まれていたりします。

江戸時代、地方からの人口流入で、江戸の人口はどんどん増加しました。とくに新興開発地であった深川では、毎年ぐんぐん人口が増えていったことでしょう。人口が増えれば、いろいろな社会インフラの整備が必要なのですが、重要なわりに忘れられがちなのが「お墓」。人口が増えれば、たくさんのお墓が必要になるわけですし、これは完全に待ったなしのニーズです。そこで、深川の平野町、三好町界隈に、いろいろな宗派を取り揃えたお寺が出来、墓地が集約的にたくさん作られたのでしょう。

平野町・三好町界隈の寺院の墓地。

現代では埋葬は、火葬にして先祖代々の墓に葬る、というの一般的です。これはきっと、人口過密で墓スペースの確保が難しかった江戸時代に一般化したのではないでしょうかねぇ。土葬で個人墓、だと広い墓スペースが必要ですから、あっという間に墓の土地がいっぱいになってしまいます。宗教的文化的に土葬の個人墓であるヨーロッパでは、特に都市部で墓地の土地が足りなくなります。しかし、個人墓の場合、よほどの有名人でもない限り、無縁になる年数が早い。欧米人でも、親戚でもひいおじいちゃん以上昔のお墓はなかなかおまつりしないでしょうからね。だから、あきらかに無縁になった個人墓は、あばき、埋葬されているお棺をより深くに埋めなおした上で、その上にあたらしいお墓を作るのです。日本の場合、火葬にして先祖代々のお墓にいれておまつりする、というのは墓のスペースを節約し、また無縁になるお墓を少なくする、という意味で、なかなか画期的なアイデアと言えます。

こちらも同じ。完全に移転間近のようです。

無縁となってもうおまつりされていないお墓には、お寺から、無縁墓に移転する由の公告が掲示されるようです。

アップで撮るとこう書いてあります。最後のお寺の名前はあえて消してあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやっぱり、無縁になるお墓は出てきます。家系が途絶えることは、いつの時代も普通にありますから、先祖代々の墓でも、無縁になるお墓は数多い。都営の谷中墓地などでは、ある一定年数おまつりしていないお墓は、自動的に権利を剥奪し、無縁墓に移してお墓を廃棄する、と規定されています。お墓のニーズは都会では今でも増え続ける一方ですから、そうやって無縁になったお墓を整理していかないと、墓地のスペースが足りなくなります。それに、無縁になっておまつりされなくなったお墓を放置しておくと墓地が荒れる、というのもありますし。

墓地の片隅に立派に新装された無縁墓の供養塔。下に納骨できるようになっているようです。

だから、深川のお寺の墓地でも、左の写真のように、無縁になり、縁故の人の所在もわからなくなったお墓は、無縁墓にうつされ、どんどん整理されていきます。どのお寺の墓地にも、一角に、下に納骨スペースのある無縁墓の供養塔があります。整理を積極的に進めるお寺ほど、無縁墓供養塔は立派になる傾向があるようです。

どのお寺の墓地にも、江戸時代の年号の刻まれたお墓がいくつかあります。ただ、そのほとんどがあきらかに無縁であり、近々整理の対象になるだろうなあ、と思わせるものです。前回の心行寺の松本家のお墓のように、今でも脈々と続いているのは例外中の例外。深川の墓地にかつてあったたくさんの江戸の人々のお墓は、そのほとんどが無縁墓として整理され、今後も整理されていくことでしょう。

つまり、現在残っている江戸時代からあるお墓は、今でも家系がつながっている例外的なものか、特別に守られてきた有名人のお墓、ということになります。深川ではありませんが「文豪夏目漱石のお墓」なんかは、名所にすらなるわけですから、有名人であれば、無縁でも残るでしょう。

つまり、ここがポイントなのです。深川には、江戸時代から残る「有名人」のお墓がいくつかありますが、それらのお墓が「なぜ今まで残ったのか」つまり、なぜ無縁墓として廃棄されずに現在まで残っているのか、ここを考える必要がある、ということです。次回、このことについて考えましょう。

しかし、江戸から明治大正にかけて、お寺に「先祖代々の墓」をこしらえられたのは、一部の経済的に恵まれた成功者だけだったでしょうね。一生奉公人として終わった人や、大工の熊さんとか、ぼて振りの魚屋の新さんとかは、亡くなるとどんな風に埋葬されたんでしょうね。無縁墓にはいったのか、それともお寺以外の土地に、土饅頭に柱を立てて葬られたのかなあ。そういえば、江戸にまつわるお話に、お通夜とかお弔いの話はあっても、お墓とか埋葬をめぐるお話ってあんまりないですよね。どうなっていたのかなあ。これは今後の調査課題ですねぇ。

とにかく、深川にはお墓が多い。縁のないかたが墓地に立ち入るのはまったくおすすめしませんが、とにかく、深川を歩いたら、墓地の多さにちよっと関心を抱いてみてください。そのほとんどが江戸時代からつらなる墓地であり、かつては、そして今でも江戸時代からのお墓があるのだ、ということにちょっとだけ思いを馳せてみてください。江戸の人々、ほとんどがまったく無名の市井の人々、その人たちのお墓、これもまた、江戸時代と現在を結ぶ絆のひとつ、といえるかもしれません。

(この記事は2011年に書かれたものです)

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