第十八回 「永代寺の戦災供養」

昭和20年3月10日深夜、東京上空に飛来したアメリカ軍B-29戦略爆撃機の大編隊は、M-69型と呼ばれた、日本の木造住宅を焼き払うために開発された、高性能焼夷弾を1665トンにもわたって投下した。江東区、墨田区、台東区にまたがる40万平方メートルにわたる地域が、瞬く間に火の海となり、10万人の死者、40万人の負傷者を出した。深川をはじめとする下町全域が、文字通り焼き尽くされた。アメリカ軍は、まずこの地域の周辺に焼夷弾を投下して、逃げ道をふさぎ、それからその火の壁の中に次々と焼夷弾を投下し、人とものを、無差別に焼き尽くした。 これが、あの「東京大空襲」です。恐ろしくもすさまじいこの大虐殺によって、深川は、壊滅しました。よく、其角に来ていただくお客様にも、「昔深川に住んでいたんだけれど、あの戦災で焼け出されて、それから深川を離れてしまった。今も深川が懐かしい、この辺も変わりましたねえ」と、しみじみ語られるお客様が、しばしばいらっしゃいます。多くの人の命を奪い、多くの人運命を変えたこの大空襲。

しかし、この「東京大空襲」に関する記念館も、慰霊碑も、実は深川にはありません。最もひどい被害を受けた地域であることはまず間違いないのに、大空襲のことは、深川からなぜか、消し去られてしまっているのです。

戦死・戦災供養の観音様

戦災供養観音の台座。いつも花が生けられています。

戦災供養の塔。実にささやかなものですが。

昭和20年3月18日昭和天皇は、下町を襲った大空襲の被害を視察に、富岡八幡宮にお出でになり、この場所にお立ちになって惨状を視察された。 建てられたのは、昭和30年です。

「永代寺」は、この東京大空襲の「戦災供養」をやっている深川では数少ないお寺です。

写真の観音様をはじめとして、ささやかですが、戦災供養塔もあります。あの大被害の供養としては、明らかに小規模すぎる、と思いますが、でも、それはそれで、しみじみとした供養の気持ちが感じられます。

大空襲の日の近くになると、永代寺では、戦災供養が行われます。戦災で家族をなくされた方を始め、このへんの鳶の頭、など、深川らしい方が集まり、鳶の人たちによる「木遣り」、供養の読経のあと、「百万遍」が行われます。大きな数珠をみんなで回しながら、「なむあみだーぶ」と唱える、歌舞伎の好きな方なら、「四谷怪談」でおなじみのあれです。しかし、大きな大供養会、ということではなく、やっぱりささやかなものです。わたしなどには、このささやかさは、被害の大きさにつりあわない、と感じますが、このささやかさもまた、この戦災で家族をなくされた方たちのお気持ち、大騒ぎしないで、心からの供養をしたい、というお気持ちの表れなのでしょうか。

永代寺にはまた、「東京大空襲」という歴史の重みも、備えているのです。

(この記事は2006年に書かれたものです。)

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