第二十五回 「洲崎の遊郭・洲崎パラダイス」

さて、いよいよ「洲崎の遊郭」について、じっくりとご紹介いたしましょう。以前にも書きましたとおり、洲崎の遊郭についは、わたくし其角主人が、経験者と思われるご年配の方に、酒席などでインタヴューしてきたのですが、皆さんとっても口が堅い。「いやあ、俺はそんなとこはあんまり・・・」なんて調子の方が多くて、なかなか要領を得ませんでしたのです。そこで、今度は図書館などで資料に当たり、かつての洲崎の遊郭のありさまが、おぼろげながらわかってきました。

洲崎神社。ここの由来を読むと、江戸時代、洲崎が海の景色の美しい景勝地で、舟遊びをする場所だったことがわかります。

左の写真の、洲崎神社の由来によりますと、現在の東陽一丁目に当たる洲崎界隈は、江戸時代、海辺の景勝地で、風雅に舟遊びをして楽しんだりする観光地だったようです。このあたりは、海岸だったのです。その後、明治になって、海に突き出た「州」であった洲崎は、隔絶された地域だったため、ここに遊郭が集められたのです。以前、洲崎の遊郭は、江戸時代、八幡宮裏あたりにあった「櫓下」と呼ばれた遊郭街の名残ではないか、と書きましたが、資料によりますとそうではなく、台東区の根岸にあった遊郭街が、まるごと洲崎に引っ越してきたものなのだそうです。

ここに、「洲崎パラダイス」のきらびやかなネオンのついた「大門」があったんだそうです。

昔、この不動産屋のある場所に交番があって、子供が来ると、「お前らの来る場所じゃないぞ」と追い返されたそうです。

永代通りを門前仲町から東陽町方面に行った、三ツ目どおりと四ツ目どおりの中間の交差点を右に曲がったところが、旧洲崎の遊郭街の入り口があったところです。ここにはかつて川があり、「洲崎橋」という橋がかかっていたのです。その橋のところに、「洲崎パラダイス」ときらびやかなネオンサインのついた、洲崎遊郭の入り口の門があったそうです。そこから先が、洲崎遊郭。

現在でも、ここから木場公園のほうへ抜けていくこの通りを「大門通り(おおもんどおり)」といいますが、この通りの名前は、この「洲崎パラダイス」の門に由来しています。ちなみに、インタヴューで得た情報によりますと、大門の横には、交番があって、中学生なんかが中に入ろうとすると、「お前らの来るところじゃないぞ」なんて交番のお巡りさんに追い返されたそうです。ま、入り口はここだけじゃなし、自由に入れたそうですが。

 

 

「大門通り」の表示板。地名には、しっかり遊郭の名残があります。

富岡八幡宮の三年に一度の本祭りの、六十三基の神輿が勢ぞろいする「神輿連合渡御」の際には、富岡八幡宮を出発した神輿は、永代通りから、この大門通りを左折して北上します。なぜ道幅の広い三ツ目通りや四ツ目通りではなく、この大門通りを通るのか、以前から不思議だったのですが、実は、洲崎遊郭華やかなりし頃には、神輿は必ず、永代通りから大門通りを右折して洲崎の遊郭に入り、そこで神輿を下ろして休憩したんだそうです。ここでなじみの女性のところで「一休み」して鋭気を養い、女性たちに見送られて洲崎を出発して、大門通りを北上した、そういう「伝統」があったので、今でも神輿はこの大門通りを通るのだそうです。

 

「洲崎パラダイス」の門の外にあった外郭の飲み屋街の名残、と思われるお店。

この大門のあった場所の手前の小路には、小さな飲み屋が何軒か立ち並んでいます。この飲み屋街こそ、芝木好子の小説「洲崎パラダイス」の舞台となった、洲崎遊郭の外郭の飲み屋街、であると、資料は語っています。ちなみに、この「洲崎パラダイス」は、新珠三千代の主演で映画化されたそうです。興味のある方は、ぜひどうぞ。ただ、洲崎の外郭が舞台になっているので、洲崎の内部は出て来ません。

 

さて、大門のあった洲崎橋跡を通り過ぎると、そこはかつての洲崎遊郭のメーン・ストリート。遊郭の古い写真などは、意外と残っていないようで、当時の洲崎の写真などは、残念ながら其角主人はまだ目にしておりません。一番下の写真は、現在の洲崎の大通りですが、写真の一番奥に写っている橋の向こうは、当時はまだ、海だったそうです。

さて、これからいよいよ、洲崎の遊郭内部に突入!! といっても、実は、もう洲崎の遊郭の面影は、そう多くは残っていないのですが。次回は、洲崎遊郭の歴史と変遷を中心に、お話したいと思います。

ちなみに、この地が洲崎遊郭跡だった、ということは、必ずしも現在ここに住んでいる人には、喜ばしいことではないようです。ですから、もしこの文章に興味をもたれる方がいらして、このあたりを訪ねてみようと思い立った方がいらしても、決して大挙して押しかけて、あれこれ騒いだり、詮索なさったりしないよう、ご注意申し上げておきます。 そっと静かに、歩いてください。

今回の洲崎シリーズは、「赤線街を歩く」(自由国民社)を大いに参考にさせていただいています。ちなみにこの本、絶版ですが。

(この記事は2007年に書かれたものです)

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