第三十回 「深川の花街・巽芸者の街」

深川、門前仲町の花街、というと、其角せんべいから、永代通りをはさんだ反対側、永代通りと大横川の間の二本の裏通りです。ここらあたりは、わたしが子供の頃から高校生くらいの頃までは、料亭が立ち並び、黒塗りの車が列を成して止まり、深川の「巽芸者」と呼ばれる粋な芸者衆が、三味線や太鼓を持って歩いていたものです。

花街の通り。ここに巽芸者が歩いてたんですよ。

ちなみに、「巽芸者(辰巳芸者-たつみげいしゃ)」というのは、深川の芸者たちを江戸時代そう呼んだことに始まるようです。巽芸者という呼び名は、深川が江戸城からみて巽の方角にあるから、そう呼んだようです。以前にも書きましたが、「芸は売っても体は売らない」のが身上で、当時としては異例に、男のように羽織をはおったので、「羽織芸者」とも呼ばれたそうです。このことから考えると、当時、芸者は体を売る遊女と大差なく、羽織をはおることすら憚られるほど社会的地位もすこぶる低かった。そこに、芸は売っても体は売らず、羽織すらはおってみせる、誇り高く気風のいい「巽芸者」たちがあらわれて人気を博して、ひいては「芸者」というものの社会的地位の向上に大きな役割を果たした、ということになるのでしょう。現在私たちが知っている「芸者」というものは、この「巽芸者」に始まる、といってよいのだと思います。

割烹「金柳」の入り口。花街の中では、ここが一番、昔ながらの雰囲気を残しているかもしれません。

「金柳」の裏手。大横川が座敷から眺められるようになっているようです。大横川は、春には桜が川沿いに咲き、実にきれいなんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深川の花街の隆盛を支えたのは、もちろん、木場の材木問屋の大旦那衆です。ただその分、政財界などへの食い込みは少なかったようで、木場の移転や衰退とともに、深川の花街の灯は、あっという間に消えていきます。

花街全盛の頃は、其角でも、こういった花街の料亭からの注文があるため、夜11寺くらいまで店を開けていなければならなかったそうです。そんな夜遅くでも、料亭から、お客様の手土産用に注文があると、おせんべいの箱詰をもって料亭まで配達に行く、というのは、全く普通のことだったそうです。開けてないと怒られた、なんて聞きます。

割烹「小川家」の入り口。ここのお座敷でふぐをいただいたことがありますが、昭和レトロな感じの貴重な内装でした。

わたしも当時、何度か料亭に配達に行ったことがあります。いつもは気のいいおばさん、みたいな感じの料亭の女将が、きりりと帳場に座って、私らのことなんか鼻も引っ掛けない、くらいの感じの厳しい調子だったのに、とても驚いた記憶があります。それくらいじゃないと、あの料亭というものを切り回していくことは出来ないんでしょうね、大変なんだなあ、と感心した思い出があります。

花街を歩いていると、芸者さんたちとすれ違ったり、料亭から三味線や小唄の調べが漏れ聞こえてきたり、それは粋な風情がありました。 まあ、当時はそれが当たり前だと思ってましたから、「粋だ」なんて思いもしませんでしたが。あと、私は残念ながら行き会ったことはありませんが、「新内流し」というのも花街を流していたそうです。なんというんですか手ぬぐいを頭につけて、三味線を爪弾きながら、新内を謡って流して歩く。今でこそ、新内は江戸の粋、みたいに言われてますが、じつはもともと新内は、小唄とか常磐津とかに比べて格が低いものとされていて、新内流しは料亭の客に呼ばれても、座敷に上がることは出来ず、庭や門口で新内を聞かせて、おひねりを投げてもらったもの、なのだそうです。新内を流して歩いてるところに、料亭の二階の窓がスーッとあいて芸者さんがポンと、おひねりを投げる、これを新内流しが深々と頭を下げて拾い、新内を少し大きな声で窓に向かって謡う。いやあほんとうに、これも粋な光景だったでしょうねぇ、見てみたかった。

「幸月」の入り口。ここもふくめて、ご紹介してる割烹はみんな老舗。私が子供の頃からあります。

前にも書きましたが、私も芸者さんの上がっているお座敷の端っこに加わらせていただいたことが何度かあります。芸者さんは、島田を結ったきれいな芸者さんと、三味線を弾く年配の芸者さんが対で来ます。豪華な宴の場合は、これに太鼓を叩く、年若い半玉さんがついたり、他に芸者さんが来たりするようです。まず、芸者さんが三味線に合わせて、踊りを見せてくれます。そのあと酒宴となりますが、そのあとは、野球拳みたいな、大人のお遊びのようなものもあるにはありますが、基本的には、まあ、小唄のひとつでも唄えないと、その後はほとんど何をしていいかわからない、といったところで、こういうところで遊ぶのも、結構な素養、たしなみがいります。往年の木場の大旦那衆の頃は、小唄や常磐津などは男の唄うものではなく、男なら長唄を唄うもの、だったそうで、長唄の三味線が出来ないと、巽芸者はつとまらなかったそうです。また、深川の料亭で遊ぶ男は、長唄くらいはたしなんでおかないと恥をかいた、ということです。正直、私には長唄と小唄の違いは全然わかりませんが・・・・

今はもう、この深川の花街も、普通の飲み屋街です。でも中には、左の写真にあるような料亭も残っています。これらの料亭は、私が子供の頃からあるものばかりです。ただ、「巽芸者」は今はもう誰一人居らず、芸者を呼ぶ、となると、他から呼ぶようになるようです。

今度深川に来た折には、かつての花街を歩いてみてはいかがでしょう。芸者衆、新内流し、そんなものを思い浮かべながら。

(この記事は年に2008年に書かれたものです)

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