第三十二回 「深川なれども住吉神社」

通りの向こう側から見た住吉神社。街角にひっそりただずんでいます。

今回ご紹介するのは、とっても小振り、小路にひっそりと佇む神社です。その名は「住吉神社」。永代通りから富岡八幡宮の横の富岡一丁目の交差点を曲がって、巴橋を渡った左側、牡丹町にあります。思わず通り過ぎてしまうような、小さな神社で、そもそもお参りする人を見たことがありません。しかし、この神社、たいへん由緒正しい神社で、富岡八幡宮の社殿の目と鼻の先にありながら、佃島の住吉神社の分社、「八幡さま」にたいする「住吉さま」です。

そもそも、このあたり、江戸の頃は海辺、だったんですね。対岸は佃島。で、この場所に、佃島の漁民の網干場が作られ、ここを「深川佃町」と呼ぶようになり、そこでここに、佃島の住吉神社の分社が祀られるようになった、とのことです。

小さいながらも、立派な住吉造りの社殿

それが、江戸中期の享保年間、徳川吉宗の時代です。この神社そのものも、江戸時代からあるもので、石灯籠などは江戸時代のもののようです。なかなかの歴史ある神社でしょう?

で、その後、この「深川佃町」は町屋となり、深川岡場所のひとつの遊里へと発展し、「つくだ」「あひる」などと呼ばれるようになります。何でも二、三十軒の料理茶屋や、水茶屋と呼ばれる遊郭があったようです。当時の深川には「深川七ヶ所」と呼ばれる七ヶ所の岡場所があり、例えばその中の「櫓下」などは、今でもその名前を現在に伝えています。この界隈は、華やかで、粋な遊里だったんでしょうね。江戸随一のグルメタウンだったらしい深川ですから、遊里でも、美味しい料理を出す粋な料理茶屋がいろいろあったんでしょうねぇ。想像するとわくわくしてきます。もう現在のこのあたりには、そういった風情の場所はありませんから、この住吉神社がある意味で、かつての「あひる」と呼ばれた岡場所のただひとつの名残、といえます。貴重な神社なのです。

「佃屋」は牡丹町にいまでもある老舗佃煮屋。「つくだ」といわれた地名にぴったりです。

一番左、「みまき」は其角のはすむかいにあった料亭の名前です。いまはしゃぶしゃふ屋さんですが。

ご存知、深川の安くて美味しい「魚三」です。このころからあったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この神社にも、小さな玉垣があります。いつ出来たものかは詳しくはわかりませんが戦前から、戦後すぐくらいでしょうか。奉納者になじみのある名前がいくつか見当たります。左の写真の「佃屋」は、牡丹町にある老舗の佃煮屋さんです。「佃屋」という店名は、もしかしたらこのあたりが「つくだ」と呼ばれていたことに由来するのかもしれません。やはり、ここの住吉神社の玉垣には欠かせない名前、といえます。その下の写真の一番左「不動尊 みまき」は、以前にもご紹介した、其角のはすかいにあった料亭。なぜ、この住吉神社の数少ない奉納者に名前を連ねているかは不明です。もともと、このあたりの料理屋だったのでしょうか?洲崎の料亭らしき「二楽」という名前もあり、このあたり、住吉神社とどういう縁なのでしょうねぇ。その下の写真は、ずばり「魚三」。現在の門前仲町の名物飲み屋「魚三」と同じ店なのでしょうか。魚三は現在、安くてうまい魚を出す飲み屋として、毎日開店前には長い行列の出来る、有名店です。けっこう遠いところから、このお店目当てに来るお客様も多いようです。このお店、たぶん以前は魚屋だったのかな、と思いますが、その店がこの玉垣の奉納者かもしれません。想像はふくらみます。

境内、力石。これも、江戸時代のもの。

左の写真は「力石」。「力石」は、この石を持ち上げて力比べをする、その力比べの石、だそうです。なぜ力比べの石が神社の境内にありがたく祀られているか、というと、その力比べ自体が、奉納であり、力持ちの力は、神につながるものだったのでしょう。深川では、江戸時代に佐賀町にあった米蔵の米を持ち運ぶ人足たちの、米俵を持ち上げる力比べに由来する、「佐賀町の力持ち」という伝統芸能があります。これは、米俵を一度に何俵も持ち上げたり、おなかの上に米俵をのせて、なおかつその上で餅を搗く、という怪力パフォーマンスです。私が小学生くらいまでは、さかんに実演が行われていましたが、やはり、今は米俵を担ぐ人足がいるわけではありませんから、最近は見たことがありません。危険だし、大変だし、ごく普通の一般人で後継者になろうという人はいないだろうなあ。粋な「木場の角乗り」にくらべて、ふんどし姿の「佐賀町の力持ち」は見栄えもイマイチでしたからね。話が逸れましたが、だから、力石は、深川の神社にふさわしい、といえます。ただ、力石は単なる丸い石、飾っておいてもあまりありがたそうでないので、撤去されてしまうことが多く、最近はあまり見かけなくなりました。そういう意味では、この江戸時代から続く「力石」も貴重なものです。

この「住吉神社」、もちろん例大祭もあり、佃島の本社から宮司がいらして行われるそうです。だから、この夏行われた富岡八幡宮の本祭りも、この神社には関係なし。こんなに近くにあるのに、です。これは、結構楽しいことだと思いませんか?神社の境内には、例大祭の奉納寄付者の名札も張り出されてあり、近所の方も、結構ご寄付なさってるようです。本当にひっそりと小路にたたずんでいる、まことに小さな神社ではありますが、この神社にもれっきとした歴史があり、信仰もそこそこにある、ということなのです。これはこれで町の宝、なんでしょうね。深川にいらしたら、ちょっと訪ねてみてください。失われた岡場所の賑わい、などもうっすら、感じられるかもしれません。

(この記事は2008 年に書かれたものです)

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